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column

作曲家について
A.シェンベルク(1874-1951)


現代曲というと、腫れ物に触るように嫌う人が少なくない。

現代曲はよくわからない、などと言われるけれども、わからないからといって、非人間的な音楽と決めつけてしまい、耳を閉ざすのはもったいない。先入観にとらわれていては、何も聞こえてこないのは当然である。

12音技法の創始者として、シェンベルクの名を知っている人も多いと思う。私は個人的に、彼の12音技法の音楽は、クリムトやエゴン・シーレの絵とだぶってイメージしている。確かに難解な音楽であるが、前衛芸術を理解するには、まずはどんな形でもよいから、各自好きな聴き方を探すことから始めよう。

シェンベルクは19世紀末ウィーンで育った。作曲はほとんど独学で、ウィーンの伝統音楽とワーグナー以後の後期ロマン派の音楽を呼吸して、作曲家としてスタートした。彼は音楽の革命を目指したことは一度もなく、常に伝統主義者をもって自認し、ヨハン・シュトラウスの「皇帝円舞曲」の編曲や、ブラームスの「ピアノ四重奏 ト短調」のオーケストラ編曲も手がけている。これらは極めて表情的でロマンティックだが、そんな古典作品、バッハ以来ほとんどすべての西洋音楽について、「音列的」な性格を持っているものとして、常に思考を巡らし、分析していた。

「浄められた夜」は25歳の時、「グレの歌」はその後10年間を費やして書かれ、その間に彼は拡大された調性の中で強烈な表現主義的傾向の作品を書き進めていく。

この時期の多くの作曲家の作品、マーラー、ドビュッシー、スクリャービンといった人々の曲は、一つの音程を強調するより、その周りを迂回したり縫うように動いて、調感がぼやけていたり、部分的に調整が消失していたりする。シェンベルクもまた、人間感情の表現とか音楽を通しての自己実現といった目的を押し進めていくうち、いつしか「月に憑かれたピエロ」の無調の域にまで達したのであった。そして「ピエロ」の完成によって彼の表現主義期は収束し、1910年代後半、彼は沈黙の時期に入る。

自由な半音階的音楽で、鮮烈な表現的効果をあげることを考えながら、一方で、そういた表現がヒステリックでその場限りにならないようにするにはどうしたらよいか、構成的統一感はどのようにすれば得られるのかを苦慮していた。無調の中から積極的に楽曲を構成する原理、仕組みを、シェンベルクは数年間の沈黙を通じて、ウェーベルンらと共に求めていた。

そして特定の調整によらずに、全曲を構成統一するために、12の半音を1回ずつ使って音列を作り、その順序に従って作曲していく方法にいきついたわけなのだ。

それは決して前もって音列を機械的に定めておく、といったものではない。音楽表現の原形質の中で少しずつ抽出されてきた素材の全体から、一つの音列が結果的に帰納されてくるのである。

その生の素材の必要性から生まれた音列というシステムで楽曲を構成することにより、初めて個々の無調的、表現的な音楽要素が相互に有機的に関連しあい、高次元の音楽構造体となる。ソナタやフーガに比肩すべき全体となりうるのである。

シェンベルクは現代の人ではない。明治7年に生まれ、昭和26年に死んだ作曲家である。現代曲とはあくまで今の音楽であるから、過去の前衛は今は古典と考えた方がよい。時代はすごいスピードで流れている。芸術も更に新しい活動を求めている。