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column

音楽の歴史
ロマン派(19世紀)


その流れの起点をベートーヴェンにおき、ロマン派の音楽は19世紀を疾走し、多岐に及ぶ。その隆盛の時代は燦然と輝いている。

ベートーヴェンの後期の作品は、主観的で感情的な作風に変わり、19世紀ロマン主義音楽の先駆けとなった。シューベルトもこの過渡期の作曲家でドイツ・リート(歌曲)の基礎を作った。ドイツ・リートはその後、シューマンやブラームス、ヴォルフなどに受け継がれる。

またピアノ曲は、ショパンによって発展した。この時代のピアノ曲は、古典派のそれに比べ、バラード、ノクターン、即興曲などの自由な形式で書かれている。文学や絵画が作曲のインスピレーションの源泉として、音楽に密接に結びついていくのもこの頃である。ベルリオーズを始めとして開拓された標題音楽は、リストによって受け継がれ、交響詩が作曲された。一方ブラームスは古典主義の精神をロマン主義の中に維持した作曲家で、その交響曲はベートーヴェンに続く絶対音楽であった。

19世紀半ばになると、ドイツ、フランス、イタリアだけでなく、ヨーロッパ周辺の国々でも自国の国民性に立脚した新しい作品が作られるようになった。これを国民楽派というが、リムスキー=コルサコフ、チャイコフスキー、シベリウスらがいる。また、この時代にはオペラが大きな発展を遂げた。ロッシーニに始まり、ヴェルディ、プッチーニによって極められる。ドイツでは神話や中世の伝説など、超自然的な要素を取り入れたオペラが多く作られた。ウェーバーやワーグナーがそれである。

19世紀後半になると、音楽は更にドラマティックな方向に向い、ブルックナーやマーラーによって、大編成で長大な作品が創作される。交響詩やオペラもこの影響を受け、リヒャルト・シュトラウスは壮大な音楽を書き上げた。またロシアでは、ラフマニノフにより、超人的な技巧を持つピアノ曲、協奏曲が作られた。

ウィーンでワルツやポルカが流行し、ヨハン・シュトラウス父子によって、数多くのウィンナ・ワルツが作曲される一方、フランスでは、サン=サーンスやビゼー、フォーレが活躍し、フランス音楽としての独自の美しさを持つ世界を演出した。

ベートーヴェン(Ludwig van Beethoven, 1770-1827)は、ロマン派音楽の先駆者として知られている。

西ヨーロッパの封建制度が崩壊すると、自由民権思想、個性尊重、自我発展の思想革命が活発になり、ゲーテ、シラー、ハイネ、バイロン、ルソーなどの、ロマン派文学が思想界に溢れた。

絵画、建築も、王宮の装飾趣味を離れ、民衆的な個人的趣味に変わり、音楽もまた、赤裸々な個人感情を表現する様式を選ぶようになった。 音楽におけるロマン主義の形態はこうだ。

1.形式的構成よりも、主観的に、詩的情緒を直接的に表現する。
2.器楽にも文学的標題を与えて、文学的関連をもたせる。
3.多楽章構成をやめ、単楽章構成とし、幻想的表現を追求する。
4.協和音解決主義をとらず、好んで、不協和音を効果的に使い、半音階的旋律や、変化和音を自由に取り入れる。
5.情緒的、劇的表現のために、色彩感、つまり音色の取り扱いを重視する。
6.民族音楽の特異性を利用する。

なお、歴史というものは音楽史に限らないが、新しくなればなるほど、情報量も多くなるので、混乱しないよう、以下6つに分類してまとめることにする。

1.初期ロマン派

初期を代表するロマンティストは、ウェーバーとシューベルトである。しかしまず言わなくてはならないことは、ベートーヴェンの後期の作品群が、そのさきがけとなったということだ。初期のベートーヴェンは形式が重んじられて、典型的古典派だが、中期の作品では「月光」にみられる様に、幻想的、情熱的で、彼の前の時代には例をみない、精神面での型破りである。「田園」交響曲は、後の標題音楽や、印象主義への扉を開く、金字塔的な作品であるし、後期では完全にロマン派の世界に入り、芸術的な大作として「第九」が生み落とされている。

ウェーバーは、グルック、モーツァルトの流れをくんで、ドイツのロマン的なオペラに天分を発揮し、近代のワーグナーへの橋渡しをした。ウェーバーの音楽のすぐれた点は、写実描写より、気分の雰囲気の描写にある。特に「魔弾の射手」にみられる神秘に包まれた森の描写は、風景画を見るような不思議な印象を受け、比類がないほど美しい。

シューベルトは器楽の面ではベートーヴェンの後継者だが、彼のロマン主義的な歌曲は、その後のシューマン、ヴォルフを経て現代にまで及ぶ。

ウィーン古典派の音楽を完成させたのは、ウィーン生まれの音楽家ではなかった。しかしシューベルトはこの時代に最初に現れた、生粋のウィーンっ子である。シューベルトの音楽には、ウィーンの自然、文化、人の生活がそのまま反映されている。

シューベルトは、貴族とほとんど関係がなく、ボヘミアン的な芸術家たちと、ボヘミアンの生活をしていた。そういう環境で、料亭やカフェーにいるときでも、作品を書いていたのが、シューベルトであった。モーツァルトの音楽が優雅で、ベートーヴェンの音楽が崇高だとすれば、シューベルトには親しみがある。彼の旋律は民謡のように単純だが、詩があって、抒情的で、そしてリズムの根底をなすものは、ウィーンの踊りである。シューベルトの音楽の真髄は、庶民性にある。

2.ロマン主義の盛期

◆ドイツロマン派

バッハの都ライプチッヒは、バッハの死後1世紀近くも、音楽的にはあまりみるべきものはなかったが、19世紀の中頃にかけて、新しい音楽運動がいきおいよく展開された。メンデルスゾーンとシューマンによって、ドイツ音楽に強い方向性を与えた。しかしメンデルスゾーンはバッハ、ベートーヴェンの崇拝者であって、古典派の技法を守り続けながら、時流のままにロマン派の装いをつけていた。これに対してシューマンは新しい音楽の構想の上でロマン派音楽を意識的に作曲し、それを主張した。

メンデルスゾーンの音楽は、一口にいって、彼の恵まれた生活を反映してか、甘美な歌謡的な旋律、澄み切ったハーモニー、そしてギリシャの彫刻のような整った形式に真価があり、特に彼のスケルツォにみる軽やかな、妖精が踊るような軽妙さは類を絶している。しかし全体としては外面的な美しさ以上に心を打つものがなく、彼に対する現代での評価は、当時に比べると遙かに下回るものである。

シューマンのピアノ音楽には、アトモスフェア(雰囲気)をもつものが多く、外面的な華やかさはかえりみられていない。渋い色のハーモニーと、綾を織る複雑なリズムによって、詩と歌が描き出される。これはシューマン独特の言語で、瞑想的であったり、諧謔的であったり、暗示的、諷刺的であったりする。この手法は大幅に後のブラームスに引き継がれる。
また、シューマンの創作で、ピアノ以上に重要なものは、歌曲である。「女の愛と生涯」「詩人の恋」には、クララへの愛情がデリケートな筆致で描かれていて、心情描写の精緻さに無比の良さがあり、歌のロマンティックの一大絶頂が、シューマンによって築かれたのである。

◆フランスロマン派

ベルリオーズが感銘を受けたのは、ベートーヴェン、ウェーバーであり、シューベルト、シューマンではなかった。「幻想交響曲」は、音楽をもって物語や情景を描こうとする標題音楽の代表作である。

19世紀の中頃、ピアノは音量の豊かなことと、和声的な可能性において、ほとんどオーケストラに匹敵する楽器となった。ピアノがこのような発達をとげたのは、一つは時代の要求からである。音楽の唯一の温床であった貴族のサロンがとざされ、音楽は数千人を動員する演奏会形式にきりかえられたのだ。かくてロマン派時代の音楽的芸術感情は、ピアノによって代表されるようになった。そして、この時代のピアノ音楽に現れた二人の天才が、ピアノの詩人と呼ばれるポーランド生まれのショパンと、ハンガリア生まれの奇才リストである。

フランスのロマン派は、この3人と、他にパガニーニのような国際的音楽家が、パリの社交界を舞台として活躍した時代であって、本質的なフランスの特性は、むしろこの運動によって推進され、その後、歌劇運動などに現れてきた。

3.ロマン主義時代のオペラ

古典派時代までのヨーロッパのオペラは、大体においてイタリアのオペラに支配されていた。だが長い間にそれぞれの国で、各自の文化や国民性に応じて、次第に別々の道に別れて歩み出すようになる。

イタリアのオペラが300年を通じて、生まれつき恵まれた声をほこるコロラチュアとベルカントのアリアを中心に演じていたのに対して、フランスでは自国の言葉と詩を生かして、洒落た洗練されたリズムを発見し、更に大規模なバレーをオペラに取り入れてフランス・オペラの新しい伝統を作った。ドイツ・オペラの特色は、神話や伝統などに題材を求めて、積極的にロマン主義の世界に入ったことである。

このようにロマン派時代のオペラは、オペラ史上にもたらされた決算だといえる。ドイツではワーグナーによって、ドイツ国民オペラの決定的な実が結ばれた。イタリアにも多くの優れたオペラ作曲家が生まれたが、イタリア・オペラの300年の結晶は、ヴェルディ一人にあるといっても過言ではない。そしてこの時代のフランス・オペラの代表には、ビゼーが挙げられる。

ワーグナーの場合のドイツ的というのは、原詩の言葉をドイツ語にするのはもちろんだが、題材をドイツに伝わる国民的な伝説や神話にとったことである。「さまよえるオランダ人」「ニーベルンゲンの指環」のように神秘的なもの、「タンホイザー」のような宗教的なもの。どれも非現実的でロマン的に満ちたものである。

ワーグナーが器楽的であるのに対して、ヴェルディは声楽的である。ヴェルディは常に人の声を前景に使った。音楽全体が旋律的で、音楽の表情は旋律に集中される。アリアと、二重、三重唱などで美しい歌をきかせる。いわゆる「ベルカント」の完璧をはかったのである。「アイーダ」「ファルスタッフ」などは、実に見事な傑作である。

ビゼーの代表作は、「カルメン」である。舞台はスペインだが、音楽としてはあくまでフランス人のものである。描写が緻密で現実的、そして色彩的である。あくまで旋律に生命を与えていることは、ヴェルディに通じるが、軽いタッチとリズムの魅力は、イタリアやドイツに求められない独自のものである。

4.後期古典派と後期ロマン派

18世紀後半から、ドイツがヨーロッパの音楽運動の主導権を握るようになり、古典派からロマン派へとはっきりした方向を見せていたが、ワーグナーに至って、これを継承する後期ロマン派と、これの反動として古典主義による後期古典派が現れる事になる。

この後期古典派の代表者はブラームスであり、ブルッフである。反して後期ロマン派を堅持したのはブルックナー、マーラー、ヴォルフ、リヒャルト・シュトラウスであった。

ブラームスの音楽は、旋律法や和声法からみれば、完全にロマンティックな作曲家である。しかし彼は古典的な形式を重んじた人であった。わかりやすく言えば、ブラームスの音楽は、骨組みが古典的で、その肉付けと色上げはロマンティックなのである。

ブルックナー、マーラーは交響曲の名をかりて名声をあげ、いわゆる古典的ロマン派として知られる。リヒャルト・シュトラウスは交響詩や標題音楽に命をかけ、ぼう大な管弦楽を巧みに使いこなした。

また、この時代に生きたフランスの重要な作曲家として、フランク、サン・サーンス、フォーレ、ショーソンらがいる。

5.国民楽派

19世紀の中頃を過ぎると、自分の国柄をはっきり打ち出した作品が多くなってきた。オペラで言えば、郷土的な古い伝統や民話を、自国語で、しかも民俗的な音楽で作曲したり、声楽や器楽では、民族固有の民謡や民俗舞曲を芸術化することが盛んになったのである。それによって、音楽にも国籍がはっきりしてきた。そしてそのような傾向を意識した音楽運動を、国民主義といっている。

自国の民族音楽を純音楽に導入した例は、ウェーバーの「魔弾の射手」、ショパンの「ポロネーズ」、「マズルカ」や、リストの「ハンガリー狂詩曲」などに、すでに現れているが、国民楽派は、もっと民族的な根強い精神に基づいている。これが具体化したのは、最も民族意識の高調したロシア、および北欧であった。

ロシア国民主義音楽の祖といえば、グリンカではないだろうか。そしてロシアの国民楽派に決定的な地盤を固めたのが、ボロディン、キュイ、バラキレフ、ムソルグスキー、リムスキー=コルサコフの5人で、ロシア5人組といっている。そして、ロシアにおける最も重要な作曲家はチャイコフスキーである。国民主義的な意味では5人組ほどのその特色はなく、彼の音楽は特にドイツの影響が強い。

チェコではスメタナ、ドヴォルジャクが活躍した。ボヘミア人は芸術的性格が強いので、ボヘミアンといえば、芸術家の代名詞である。 ハンガリーからはバルトーク、コダーイ、そして北欧は、ノルウェイのグリーグ、フィンランドのシベリウス、デンマークのガーデらが国際的である。

また他に、フランスのプーランク、スペインのファリャ、イギリスのエルガー、アメリカのガーシュインなど、それぞれの国で、それぞれの国民性をもった芸術活動が活発に行われた。

6.近代オペラ

ヴェルディの流れをくむ一群の若い歌劇作家は、一般に現実派といわれる。これは王侯貴族の生態描写をすてて、下層生活の、生々しい嫉妬など、現実の激情的な素材の描写をねらったものである。

イタリアのマスカーニの代表作の「カヴァレリア・ルスティカーナ」、プッチーニの「ラ・ボエーム」など、美しく官能的な音楽である。 ドイツのリヒャルト・シュトラウス「サロメ」は重厚な管弦楽法が特徴。フランスはドビュッシーの「ペレアスとメリザンド」、ロシアではラフマニノフやプロコフィエフにも、優れた歌劇作品がある。「フランチェスカ・ダ・ラミニ」、「三つのオレンジの恋」などがそれである。