18世紀後半になると、音楽は宮廷だけでなく、市民階級にも開放されるようになる。古典派の作曲家たちは、バロック音楽にみられた複雑な技巧や装飾をきらい、自然さ、客観性、端正さを重視し、形式、スタイルを尊重して、交響曲、ソナタ形式などが確立された。ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンの3人は、ウィーン古典派とも言われ、音楽の都ウィーンの代表選手である。また、ピアノが発明されたのもこの時期で、多くのピアノ曲が生まれた。同様に管弦楽の形態も定着し、いろいろな楽器の音色を適切に配合する技法も発達した。この時代から音楽家たちは徐々に、宮廷や教会から独立していったのだ。 古典派(classic)という言葉は、"第一級の、模範的、高雅な、経典的、古代ローマ・ギリシャ様式"などの意味がある。古典主義といえば、古典崇拝派を指し、ゲーテやシラーなどの、ギリシャ研究から起こった文学運動のことである。形式的な類型と調和を重んじ、客観的な美しさを追求する事が主眼とされた。 音楽における古典主義は、ウィーンで花が咲いて、ウィーンで実を結んだ。ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンの3人の出現によって、画期的な楽風が樹立され、古典主義の完成となったのだ。 古典主義の音楽がウィーンで栄えるためには、すべての条件がそろっていた。ウィーンは長い間ヨーロッパにおける文化の中心地であったばかりでなく、王君をはじめ、貴族たちは、自身で音楽をたしなみ、すぐれた作曲家や楽団をかかえて、自分のサロンで演奏をすることが誇りであった。 ウィーン派初期の音楽家の名を挙げれば少なくないが、最初に現れた大きな名はグルックである。グルックはマリーアントワネットの王女、王子に音楽を教授するため、一時パリにもいた。続いてハイドンが現れ、モーツァルトが現れ、ベートーヴェンがやってきて、ウィーンを第二の故郷にした。つまり彼ら4人とも、ウィーン生まれではない。ウィーンの音楽的雰囲気に惹かれて来て、彼らによって、ウィーン古典派の輝かしい伝統を作り上げ、そしてウィーンに骨を埋めたのである。 これはシェンブルンの離宮。ウィーンの初期古典主義音楽が育ったところ。 古典派音楽の特色は、次のことが言える。
1.整然たる形式による単旋律音楽(※)で、ソナタ形式、ロンド形式がその中心となった 2.端正な音楽理論をもち、和声楽、旋律構成法、管弦楽法が合理化された。 3.創作理念として、荘厳、崇高、純美を目的とし、多分に貴族的であった。 ※ルネッサンス以降盛んだった多声音楽(複旋律音楽)はポリフォニーと呼ばれたが、これは同時に2声以上の旋律が流れるもので、これにはカノン、フーガなどの形式があり、もっぱら対位法によって処理された。それに対して、単旋律音楽(ホモフォニー)とは、一本の旋律が中心となり、和声によって伴奏され、音の加重が自由であり、壮大、豊麗にされるもので、この時代のソナタ形式、ロンド形式、歌曲形式などは、単旋律音楽を最も効果的に発展させた。 グルックを除く3人は、すべて器楽の作曲家である。古典派の音楽では、オペラももちろん一つの重要な部門ではあったけれども、全体的にはその特徴は器楽にあって、特にソナタ形式、またはシンフォニーの音楽である。 |