W.R.ワーグナー(1813-83)


ドイツオペラの特色は、神話や伝説などに題材を求めて、

積極的にロマン主義の世界に入ったことにある。そしてドイツ国民オペラの結実は、ワーグナーによってなされ、同時にイタリアやフランスなど世界各地に影響を与えた。

ワーグナーの生涯は、半ば冒険的であった。二十歳の時、合唱指揮をふり出しに音楽の世界に入り、6年間ドイツの各地で作曲をしながら指揮者をつとめ、それからパリに3年、ドレスデンに7年、スイスに10年、そしてバイロイトにワーグナー音楽祭の偉業を完成して、旅の上で亡くなった。



彼の70年の一生は長かったが、どん底の連続だった。借金、空腹、革命による亡命など。しかし、リストの娘でハンス・フォン・ビューローの妻であったコジマとの結婚により、晩年の仕事は着々と進んだようである。

ワーグナーはいばらの道を歩みながら、闘い続けた人である。理想が大きいだけ、敵も多かった。彼の音楽は、一部から熱狂されもしたが、その反面、それ以上にあざけられ、ののしられてきた。何のことかというと、生涯の仕事の中心となった、楽劇のことである。

彼は、オペラの台詞を全部自分で書き、舞台装置から照明にいたるまで、すべて自分で考えた。詩と、劇と、音楽と、美術の完全な融合をはかったのである。普通のオペラのように、音楽の為に詩や劇が犠牲になることがない。それで彼のオペラは楽劇と呼ばれている。