平均律と純正律の使い分け

演奏にあたって、「正しい音程」で演奏するというのは、なかなか奥深い。


正しい音程というのはただ1つなのか。
「チューナーや、ピアノにぴったり合えば正しい音程でしょう?」そんな単純ではない。

自分の耳に頼って正しくアンサンブルしているときの音程は、チューナーやピアノの音程とは違ったものになるはず。

これが「平均律」と、耳に心地良く聞こえる「純正律」の違いだ。

西欧の音階は、平均律によって「転調」という機能的合理性を手に入れたわけだが、これはハーモニーに対する人間の耳を少しごまかした、妥協の産物という見方もできる。

私達が、自分の耳を信じて美しいハーモニーを奏でるとき、実は平均律から離れ、純正律の世界に入っている。

私達が無意識のうちに絶対と信じている(けれどもなかなか実現はできない)「平均律」は、アンサンブルにおいては必ずしも正しくはない
「平均律」が唯一無二の音程ではない、ということを、ここで再認識してみることは、ムダではないはずだ。

一流オーケストラや、一流カルテットが、実によい響きを出すのは、音色ももちろん大きい要素だが、この純正律のハーモニーに対する感覚が非常に優れているからだ。

反面、ピアノコンチェルトなど、メロディーが平均律で奏でられているとき、伴奏のハーモニーを平均律で演奏するか、純正調で演奏するか、極めて難しい。 これを、とっさに、どう解決していくかで、そのオケの「響き」そして「巧さ」が決まるという側面がある。そこには、個人レベルだけでなく、オケ全体としてその響きに寄っていく、という、響きに対する統一されたイメージや、音楽的カラーへの捉え方の一致が必要になる。
これはフルートとピアノのアンサンブルも悩ましい問題で、平均率のピアノに対して、どこまで純正律的にハーモニーを形成するか、しかもそれを感覚的に即興的に耳が働き、より趣味のよい音楽にしたいという奏者の欲求を、演奏する側だけでなく、鑑賞する側の期待値も想像しながらも満たしていくことは、とても難しいことであり、とても楽しいことである。

いずれにしても、機械的、機能的に演奏しただけでは、本当の良い響きは得られない、音楽の醍醐味は味わえない。ということになる。