R.A.シューマン(1810-56)


自分と気の合う音楽、そうでない音楽があると思う。

これは個人的な意見だが、好きになった作曲家とは、どこか性格的に共通するものがあるのではないか。自分の心の感じやすい部分に入り込んできて、言い表すことのできない感動を覚えることは、音楽を通じて作曲家の人間性そのものに共感していることに他ならない気がする。

なぜそんなことを言うのかというと、このシューマンと、次のブラームスは、私の大好きな作曲家であり、彼らの音楽は私に大きな喜びと慰めを与えてくれるのだが、そのたびに上記の事を常に不思議な現象として捉えていたからである。


シューマンは文学に鋭い感覚を示した作曲家であった。ゲーテ、シェークスピア、バイロンを読み、性格も文学的で、感受性の鋭い若者であった。感受性が鋭いというのは、生ぬるい表現かもしれない。というのは、彼の父は晩年に精神に異常をきたし、姉も同じで精神異常から自殺した。後にシューマンも自殺を計って、精神病の治療を受けることになる。

演奏家にせよ、作曲家にせよ、音楽家は日常生活において概して現実的かつ常識的であり、本当に夢想癖や空想癖のある人は、一般に考えられているよりははるかに少なくて、精神に異常をきたすことも稀である。これに対して、画家や小説家には精神的にアブノーマルな人物がしばしば見られる。このような観点からすれば、シューマンは音楽家である以上に小説家の感性の持ち主であった。

さて、シューマンの魅力は以上のように文学的なポエムの世界にある。そしてまた、その精神の不安定さに因ってかわからないが、和声の複雑さが与える独特の「ためらい」にも注目したい。

例えば有名な「トロイメライ」である。夢のイメージが見事な小品で、その詩的な雰囲気はとても聴き易いが、実は和声は大変込み入っているのだ。夢はそもそも得体の知れないものである。個の肉体を離れて、魂が異次元と交感をし、漂っている(・・・抽象的だが凡人に説明させればそんなことになる)。その真綿にくるまれているような穏やかな気分に、シューマンはきっとインスピレーションを感じたのであろう。

ドビュッシーら印象派の作曲家にとって、和声は絵の具のように、色や光りの変化に工夫された。反してシューマンの場合は、和声の変化は気分の変化であり、感情のためらいである。色の明暗ではなく、心の明暗が音楽に注がれているのだ。

しかしそれは何もシューマンに限ったことではなく、ベートーヴェンしかり、ショパンしかりである。しかし、思うにシューマンほどその落差の激しい作曲家も少ない。激しいというより、その落差が明白というべきか。躁鬱の気質が作品にも反映していることは疑う余地はないだろう。

ピアノ曲では他に「謝肉祭」「短編小説」「幻想小曲集」「交響的練習曲」などが素晴らしい。

シューマンのポエムを体験したいのであれば、やはり独唱歌曲(リート)を聴いていただきたい。文学に造詣が深かった彼にとっては、才能をふんだんに発揮する分野だったのであろう。傑作「詩人の恋」の第1曲「美しい5月に」の音楽は、さりげないなかに、様々な心の描写がある。5月という麗しい季節の中での優しい気分や、秘かな恋心を打ち明ける時の切なさ、そしてその結末を暗示する言いようのない寂しさなど。

他に、「リーダークライス」「女の愛と生涯」も、鋭い感性で表現された優れた歌曲集である。