-ルネッサンス期(14世紀頃〜17世紀初期頃)-

ローマ教権の衰えや、宗教改革などにより、ルネッサンス文芸運動が起こる。教会音楽に熱意を失った人々によって、世俗音楽が盛んになり、器楽が発達した時代。なかでもハープシコードの完成、リュート属、管楽器、ガンバ属が充実し、多声音楽(ポリフォニー)が全盛をきわめた。

ルネッサンスという言葉の意味は、再生、または復活である。キリスト教以前の、ギリシャの古典文芸に帰れという思潮で、カトリックの、厳格な圧迫から開放されたいという、ヒューマニズム運動であった。つまりこれはロマン主義的な精神のあらわれである。古典的な精神と、ロマン的な精神は、概念的には相反するものだけれども、実際には表と裏のように、どの時代にも同時にあったものである。時代によって表があらわれたり、裏があらわれたりして、歴史は繰り返すのである。

この運動が音楽に現れたのが、フィレンツェのアルス・ノヴァ(新しい芸術)である。当時はダンテの「神曲」や、ボッカチォの「デカメロン」、ペトラルカの「ソネット」が出、人の心はルネッサンスに向かって成長していた。そうした世相から、教会音楽が育てた複旋律法などの技法を、世俗音楽に移す運動が始まった。それは実際には、マドリガーレ(牧歌的な要素をもつ抒情詩)・バラータ(舞踏歌)・カッチャ(輪唱曲)といった曲体となって現れることになる。

イタリア文化に対して、対抗してきたのがフランス文化であったが、15世紀になって、フランス北方に輝かしい文化圏が生まれる。

北フランス、ベルギー、オランダ、西ドイツの一部を加えた地域で、ネーデルランドといわれ、ここに栄えた音楽一派を、ネーデルランド楽派といった。イギリスのダンスタブル、ネーデルランドのバンショアとドファイ、この3人が1450年からほぼ1世紀に渡って、ヨーロッパの音楽を支配した。つまり教権の乱れによって衰微した教会音楽は、ネーデルランドから音楽家を仰がなければならなくなり、イタリアの各教会ばかりでなく、フランス、スペイン、ドイツにいたるまで、きそって、ネーデルランド出身の作曲家、歌手、指揮者を招くことになったのである。

150年間にわたるネーデルランド楽派の作曲の種類は、宗教音楽ではミサ、モテット、世俗音楽ではマドリガーレ、シャンソンのようなもので、代表的な音楽家として他に、あらゆる種類のカノンを試みたオケゲームや、精密な対位法的作曲を残したオプレヒト、当時の第一人者であるジョスカン・デ・プレや、ネーデルランド最大の作曲家といわれる、ラッソがいる。

そしてルネッサンスの最盛期は、ローマ楽派を生んだパレストリーナによって達成される。彼はネーデルランド派の論理構成に、ローマ風の色彩に満ちた、豊かな音響効果をこん然と融和させた。バッハ以前の、最大の作曲家として尊敬されている。

しかし、ギリシャ文芸をあこがれる、ルネッサンス音楽の本当の結実は、16,7世紀になって、舞踊音楽、劇音楽が現れることによって果たされるのである。

演劇に音楽を利用することは、ギリシャの悲劇、喜劇のように、早くから知られていた。14世紀頃から、教会内で祭日や説教のあとなどに、宗教劇が行われていた。これは無言劇を聖歌でつなぐ程度の、極めて初歩の音楽劇であったが、これから、受難劇や、オラトリオが作られるようになったのである。 15世紀の中頃、ビザンチン王朝がトルコに敗北し、コンスタンチノープルからカトリック教徒が追放された。したがって、ここにいて、ギリシャ文芸を研究していた学者や芸術家たちが、イタリアに保護を求めて多数の文献を携えて移動してきた。その時フィレンツェではたまたまルネッサンス運動の熱が盛んで、新芸術の方向を目指していた。このような気運の中に、ギリシャ文芸に関する知識がもたらされたので、新しい劇音楽が勃然として起こったのである。

フィレンツェに起こった歌劇運動は、たちまちマントゥア、ボローニャ、ローマ、ヴェネツィア、ナポリと、イタリアの各都市に広まっていった。

モンテヴェルディは1607年、「オルフェオ」を書き、翌年「アリアンナ」を発表して大成功した。「オルフェオ」ではヴァイオリンを初めて合奏に取り入れ、トレモロ奏法によって劇を一層効果的にし、管弦楽が単なる歌の伴奏でなく、劇的表現に欠くことのできないものであることを示した。

そしてこのあとを受けたのが「ヴェネツィア派」で、カヴァルリなどの名があげられる。その特色は、民謡風のまとまった歌調の詠唱「アリア」が劇中に好んで多く取り入れられ、朗吟調の叙唱「レシタティヴ」とはっきり区別されたことである。

17世紀後半には「ナポリ派」歌劇が注目される。ここではベルカント唱法が確立されたことが特色である。

なお当時の歌劇には序曲がつけられ、これは「シンフォニア」といわれ、急−緩−急に作られた。この形式がのちにハイドンの交響曲に導かれるのである。これは「イタリア序曲」といわれる様式である。

フランスでは16世紀頃から、いわゆるバレーが王宮で行われていたが、17世紀になって、牧歌劇や歌劇など、イタリアの劇音楽が模倣されだした。その代表的な作曲家はリュリである。彼の歌劇で注目するところは、「イタリア序曲」に対して、「フランス序曲」といわれる、緩−急−緩の序曲を作ったことで、中間部はフーガ形式になっている点である。フランス歌劇は18世紀になって、ラモーやグルックが現れるまでは、リュリの独占舞台であった。

また、ドイツにイタリア歌劇を導入したのはシュッツ、イギリスはパーセルによってなされた。

ルネッサンスの恩恵として最後に、器楽の発達や新しい作曲法について触れてみる。

この時代に一番ポピュラーなオルガンも、聖歌の伴奏から解放されてから、このために作曲する人々が輩出した。ネーデルランド人のスヴェーリンク、イタリアのフレスコバルディ、ドイツのパッヘルベルがそれである。

また当時、花形楽器であったチェンバロには、イタリアに名手A・スカルラッティ、フランスにはクープランがいた。

ヴァイオリンにおいては、北イタリアのクレモナの3大巨匠、アマーティ、ストラディヴァリ、グァルネリによって、楽器の王と言われるまでに完成した。

他に、ソナタを発達させたヴィターリ、ヴァイオリンの名手コレルリ、コンチェルトを大成したヴィヴァルディ、ソナタを大成したタルティーニなどがいる。

この頃、3和音が常識化されるようになり、1600年頃から、低音だけを書いて、それに数字や記号をつけ、各声部の音の動きを示す方法が考えられた。これを通奏低音といって、たとえば、多くの声部を持つ合唱曲でも、低音だけあれば、チェンバロやオルガンで和声をつけて伴奏ができるようになった。

このように中世からルネッサンスにかけて、音楽は大きく変貌を遂げ、このあとにいよいよ訪れる輝かしいヨーロッパ音楽の歴史に、今や遅しと待ちかまえているような、時代の勢いが感じ取れる。

17世紀ルネッサンス音楽家の合奏(「楽器」マール社刊より)