Masayuki Takizawa .WEB

フルート奏者 滝沢昌之のウェブサイト
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column

フルートの演奏技術の考察
-音楽思惟の旅-


◎プロローグ

音楽はとても深い芸術なので、極めていくには、とても長い時間勉強する必要がある。 フルートについてもピアノやヴァイオリン同様、 理想的には幼少期に体を作り、10代で感覚と技術は完成形に近くなっておくのが望ましい。 なぜなら最終的に重要な音楽表現には人間性の豊かさが問われるわけで、 それを養う20代30代で、なお技術面で悩んでいる時間は少ない方がよいからだ。 とは言え、才能と環境に恵まれた一握りの人材以外、とてもじゃないけど普通はそうはいかない。 皆それぞれの問題を抱えて好きな音楽、好きなフルートと寄り添っている。 でもやはり短い一生の中で、美しい音色を手に入れたいし、完璧なテクニックを手に入れたいものだ。 厳しい道のりではあるが、毎日一歩一歩の小さい歩みを大事にするしかない。 かく言う私も、半世紀生きてきてもなお、毎日がスクラップ&ビルドの試行錯誤だ。

奏法に関する様々な複雑な内容を言語化することに意味があるのかわからないが、 自分のためにも書いておこうと思う。 なお今正しいと思っていることも、明日改める、ということもあるため、 下記の記述内容は予告なく変更、追記することがある。

◎音色・響き

a.姿勢

姿勢と楽器の組み立て方を軽視してはいけない。 背中が丸くならない様に、肩甲骨を意識して、少し顎を引く。深い呼吸と気道を確保できるように。 肩、首、腕、指を楽に。

若い新人気鋭のフルーティストやアマチュアの方に多いのだが、演奏中、歩くが如く立つ場所が動いたり、体も上下、前後、左右に、ぐるりんぐるりん激しく動く人がいる。それでもたまにとても上手な人もいるが、大概の人は音に安定感がないし、表情も主観的でパッションに溺れてしまっていることが多い。フルーティストだけでなく、ピアニスト、ヴァイオリニストも、巨匠ほど、軸と脱力が見て取れ、微動だにしないといっていいほどの安定したフォームをしている。表現における個性を重要視すると、コントロールの手段を失うので注意したいし、それ以前に、技術を補うために体が動いてしまうのであればそれは間違った奏法として改めた方がよい。動いて上手に吹ける人は、動かない奏法を身につけると途方もなく上手くなると思うから。もちろん音楽に伴う自然な体の動きはあって当然なのは言うまでもないが。

頭部管と主管を合わせる位置は、音色やフィンガリング、音程などに影響が及ぶ。 上達するにつれ自分にあう位置がわかってくるが、 習い始めは当面、キーカップの中央と歌口を結ぶラインがまっすぐか、少し内向きにしておくのが無難。 大きな音を求めて外向きにする人が多いが、遠くまで美しく響く音を持つ人はむしろ内向きにセットしている人が多い事実もあるので一概に言えない。大事なのは体と楽器を響かすことだと思う。

b.呼吸

フルート演奏時の、日常の呼吸と異なることは、まず吐く息が長いという事。そして圧倒的に吸う時の深さが深く、横隔膜を目一杯下げ、肋骨が大きく広がるということ。次にゆっくり長く吐く事を可能にするために、横隔膜をゆっくりと元の状態へ戻ろうとさせること。そのために使われる筋肉が息の支えとなる。

横隔膜の自然かつ自由で支えを伴った、上へ上がろうとする動きをイメージしながら、自然と息が流れてゆくことで、喉や口で無理に吹くという間違った奏法を正すことができる。

これら、日常と異なる点を、毎日のトレーニングで鍛え、身体を開発してゆく。

身体が開いて、横隔膜は深く、肋骨が広がり、重心は低く丹田に保ち、おなかの筋肉に支えられた自然で深い呼吸が出来る様にボディバランスを鍛える。音色を作る原点は呼吸法で、その指標となるのは低音のピアニシモを豊かに自然に響かせられること。

また、フラッター、ハーモニクス、ホイッスルトーン 、重音奏法、循環呼吸の訓練で、脱力や口腔内の状態を理想に導くことの本質を得られる。 合わせて音楽表現の中で呼吸は大変重要な要素で、呼吸によって、次のフレーズを想起させることが求められる。

c.脱力と、筋肉の支えのバランス

脱力は本当に難しい。特に大人になって始めた人には大きな壁となるだろう。指、肘、肩、首、腕、胸、唇を脱力する感覚、同時に横隔膜を支える筋肉(腹横筋や腹斜筋、骨盤底筋)と、胸筋や背筋など、軸と芯を強固に保つための力の、バランス感覚(体幹)を鍛える。脱力を覚えないと息は自然に流れず硬い詰まった音になり、筋肉を使わないと軸はぶれて響きのない芯のない音になってしまう。脱力を知り、筋肉とのバランスを自分の体が覚えていくことは、一生の課題かもしれない。

d.アンブシュア

目に見える唇についつい関心がいってしまうが、鏡を見て悩んでもあまり意味がない。唇は、息に応じて耳でコントロールするイメージ。自然に任せるというと難しいが、唇は息と耳が作る。ディナミクや表情は息が行うもので、唇は微妙なニュアンスや色彩の変化の際、息に対応していく。とは言っても、末端のアンブシュアは最終的に音色を左右するもので極めて重要。とりわけピアニシモの持続や、跳躍、音程のコントロールでは、顎や唇、舌根の柔軟性が求められるが、これらの技術の取得には時間がかかる上に感性と想像力、ソルフェージュ能力が必要となる。

アンブシュア(唇の形)に悩むよりも、まずは目に見えない部分が大事。顎は落ちて口の中は母音の広さ。そして呼吸、脱力、口腔内や胸郭、頭蓋の響鳴の方に関心を寄せた方がよい。ただし、歌口(リッププレート)を、下唇または顎のどの当たりに、どれくらいの圧力であて、どれくらいの距離感と方向で、エッジへどのような抵抗感で、そしてどのように表情筋を使うかなど、創意工夫することは枚挙にいとまがないので考えないわけにはいかないのだが、ほどほどに。

しかし誤解を恐れず、言語化することに多少の意味があると信じて書くとすれば、アパチュア(唇の息の通る穴)は、結果、とても小さい。「穴を小さくしないで」と言う人もいるが、そう言いたい感覚もわかるので、無理に小さくしようとしないで小さくすることができるのがいいのかもしれない。唇には無駄な力は入れたくない。でも穴は小さくしたいのだ。実際、唇の周りの表情筋はとても活発かつ柔軟に働いている。アパチュアの形を作ろうと思っても喉が閉まったり口腔内が狭くなれば全く意味がないが、確かなのは、低音域では高音域に比べて横幅があり平たい形をしている。高音域は低音域に比べて丸みがあって針の穴の様にすごく小さい。喉や鼻腔、軟口蓋などを意識しながら表情筋によって、音域に適正なアパチュアに、息がそれをうながしている様だ。それが多分、いいアンブシュアだと思う。
◎フィンガリング

指を速く正確に動かすコツは2つ、➀脱力➁音への認識力である。

脱力は、まず指から。そして手首、肘、腕、首、肩、胸へと、無駄な力を緩めていく。喉が締まって音が悪いと、指も回らない。そして基本的な指の動作は、上げ指は速く高く(高すぎない様に!)、下げ指はゆっくり音楽的に。

音の認識力とは、「本当に聴けているか」ということ。例えば音符がインテンポで口で言える(音読できる)こと。口で言えないものは絶対に吹けない(もちろん稀に口で言えないくらい音符が多く集まっていることもあるが)。そして細かい音符も全て、あたかも全音符の如く聴けていること。これが認識力。例えばボクサーは相手のパンチがスローモーションの様に見えるとか、弓道やアーチェリーの選手は、遠い的が眼前に見える。

また、フレーズを見据えて音楽が進み運ばれ動いている事を忘れないこと。つい、インテンポで反復練習を何十回もしてしまうが、今できる無理のないテンポで、初回で成功させる様に耳と頭を集中させる。そのプロセスの蓄積を大事にすること。指が勝手に動くまでさらうというのは間違いではないが少し違う気がする。必ず読んだものを吹く、そのクオリティを上げていくことが本当に吹けるようになるための練習方法だ。
◎タンギング

「スタッカートを制する者はフルートを制する」と誰かが言っていたが、「跳躍」と「スタッカート」はフルートの技術の中でも難しく、その攻略は、奏法の本質的な問題解決へ導く指標となる。まずアタックの基本は、舌を「ぶつける」ように出すのではなく、自然に楽に「離す」のが原則。優しく付けて遅く離すのか、強く付けて速く離すのかなどは、曲想によってくる。もちろんぶつけるようなアタックもある。

いずれにしても舌根はリラックスして口腔内が広いことが重要。そして舌の上達は時間がかかる上に、筋肉が落ちるのが早いので、基本となるAllegroのテンポでのシングルタンギングの訓練を怠らないこと。1〜2日怠けただけでも舌の動きは鈍ってしまう。ダブルタンギングではフラッター並みの腹圧を強く要する。トリプルタンギングはシングルの精度を上げることで楽になるし、前述の様にフラッターでは強い腹圧と喉の脱力、アンブシュアの柔軟性が求められる。
◎ヴィブラート

ヴィブラートは、ノンヴィブラートが安定して演奏できることが前提となる。ヴィブラートはどこでかけるか、という問いは多いが、私の今の考えでは、「丹田と脳と耳でかける」。

ヴィブラートはすなわち心の現れだが、心の源は丹田にあり、そこから湧いて来た様々な思いは、理性の頂点である脳でコントロールされる。そして耳は、お腹の筋肉を通じて、まっすぐで安定した音に周期的な波が与えられ心の変化に従う。

実際には喉や横隔膜やインナーマッスルが仕事をしているのだろうが、あまり部位的なコントロールを意識しない。強いて言うなら速くて浅いヴィブラートの時はすごくお腹を使う。大事なのは、「ノンヴィブラートに波を乗せる」イメージ。ノンヴィブラートを安定させるための筋肉(骨盤底筋など)の支え、腰や丹田の重心点、上体の脱力を鍛錬してこそ、品格のある美しいヴィブラートを生み出せるようになる。

ヴィブラートを練習することはすなわち、ノンヴィブラートを練習することと同じ。ストイックで疲れる練習だが、1曲通してノンヴィブラートで、倍遅いテンポで、ニュアンスをつけないで、または強弱だけつけて、などの練習は、モイーズも勧めている訓練だ。クラリネットの様に、ヴィブラートをかけなくても音楽的な表現ができるようになるとよい。

また、ヴィブラートをかけると響きも豊かになるが、声帯が程よくリラックスし、鼻腔が開いて、頭蓋骨、そして胸郭に共鳴している感覚、さらにそれは楽器にも共鳴して指に振動を感じられる様に。
◎ディナミク

フルートのディナミクは、純粋な音量の強弱の幅と合わせて、倍音の増減も関わってくる。倍音が少なく暖かい息ならpp.dolceのニュアンスになり、倍音が増えてテンションと抵抗が増えればff、espressivoへ向かう。言い換えると、息やテンションは、cress.では「increase」。decress.では「decrease」。そして、decress.とdim.の違いも大事。dim.にはテンポの緩みが伴う。

ディナミクではお腹と唇の筋肉、下顎やアパチュアの微細な変化などの技術面を自然と行えるだけの耳の良さも必要。またディナミクを伴う音楽表現では、常に時間が前に進んでいる、と言うことを忘れないでほしい。次の音、そのまた次の事象を匂わせるようなアプローチの中で自然に、かつ計画的に、何よりエモーショナルに描かれることが求められる。
◎アーティキュレーション

スラーを単に「非デタシェ」にしているだけでは音楽が見えない。スラーにはフレーズが生まれる。そのためにはまず美しい完璧なレガートであること、そして音個別に与えられたヒエラルキーに従って動的に表現する。「動的」とは、拍節の持つキャラクターも伴う。つまり、原則論だが、スラーの開始音から集結音に向かって重要度が低くなるので自然とdim.が生じて、拍節としては強拍は近く、弱拍は遠く、中強拍は遠く高く、など、音の存在するべき空間を表現に与えることで、音楽が立体的に、生命力を持って描かれる。

連続するスタッカートは音量、音質、音の長さなどすべて同じ成分を持ったもの同士が、非常に高いテンションで、しかし軽さを失わず、噴水の水しぶきのように透明感のある瑞々しさで、繊細かつ大胆なタッチで描写できるように。なぜなら作曲家がスタッカートを求めている時は、音楽に一層の躍動感が与えられている時だから。

テヌートやスフォルツァンド、メゾスタッカートやべーブングなど、様々な作曲家が求めたアーティキュレーションから微妙なニュアンスや色彩の変化を汲み取り、歌うような表情を得られる様に。
◎跳躍

お腹と唇の連携を柔軟に。アンブシュアの変化は少ない方がよいが、お腹の圧力を中心に、顎や上唇などが息に対応する範囲での動きは必要で、旋律線の横の流れを大事にするとよい。また、その音程が音楽にどんなエモーショナルな印象を与えるのかを表現する。例えば短7度上へ跳躍するなどはとても感傷的な表情があるが、こう言う場合には跳躍する前の下の音をしっかりたっぷり歌い、そのバネを利用しながらテンションはクレッシェンドで保ちつつ、音量的にはむしろディミヌエンドで上の音へ到達する様にすると表情的になる。

スタッカートの跳躍も難しいが、支えの重心の高さを瞬時に変化させることが必要で、原則的には低音は低い位置だし、高音は少し高い位置で支えることが多い。この重心位置の俊敏な変化は、お腹のインナーマッスルによる横隔膜のコントロールによって行われる。しかし跳躍のニュアンスやテンポなどで、重心を低い位置に保っておいた方がよい場合もあるので、色々試して耳で判断する。
◎音程

幼少期に合唱などで歌を歌い、ピアノのお稽古で優れた先生に師事しソルフェージュを修練された人は幸運である。ただし、良い耳を持っていても、和声的音程と旋律的音程を、音楽表現の中でうまくコントロールすることは別の勉強、そして想像力が必要で、それができないことには絶対音感やポリフォニー的聴覚も無意味である。とは言え絶対音感があればセント単位で音程の狂いがわかるわけだから、平均律的に音程を嗅ぎ分ける才能をぜひ演奏に活かしたい。

絶対音感のない人でも、相対音感は訓練によって高めることができる。演奏ではむしろこの相対音感こそが役に立つ訳で、フルートの場合、例えば最高音域はどうしても若干上ずることがあり、その次に続く音程は相対的にとることが必要だ。

また、息や唇のコントロールができず、音程が悪くなることもある。力むと筋肉の柔軟な対応ができなくなるので音程においても何よりソノリテの質を保つことが大事と言うことだ。

アンサンブルでどうしても綺麗にハーモニーが作れない場合、音程が悪いというより、音質に起因する場合もある。その多くが、倍音が適正に乗っていない奏法であることが多い。これもやはり力みから生じるボディバランスの悪さなので、奏法を見直す必要がある。

つまり音程が悪いと悩む人の改善策は主に2つで、ソルフェージュの訓練か、奏法の改善である。
◎読譜

指や舌のテクニックは筋肉の運動性というより、脳の働きと体のバランスが司る。脳の限界値を日々進化させ、読譜の質を高めることが、すべてのテクニックの根幹。また、楽譜に書ききれなかった作曲家の思索を汲み取れるように。テクニックと表現、どちらも読譜力を高めないことには実現をみない。

どんな複雑なリズムや拍子でも吹く前にドレミで言えるようになるといい。また共演者(例えばピアニスト)が何をしているのか、どう絡んでいるのかを知り、複雑なところはリズム打ちと音読など、合わせの前に一人アンサンブルをしておく。

普段からオーケストラスコアを読む、コラールを読むなどの訓練はとても有効。ト音記号とヘ音記号しか読めない人が多いが、ソプラノ、アルト、テノール譜表を読む訓練をしたり、移調楽器(クラリネット、ホルン、トランペット、サックスなど)を音読したり歌ったりすることで、脳の処理レベルをあげていく。読んだ音をいかに処理するか、このスキルを上げることがテクニックへ直結する。
◎フレージング

フレーズは作曲家の言葉であり歌であり心情の現れ。その国の言語を理解し、作曲家の内面に寄り添うことが、音の扱いを知る上で必要で、その上で、動きを持った、立体的な造形美が可能になる。時間と空間に何をどう描きたいか、想像力を高めること。

フルートは息継ぎがある。時にブレスによってフレーズを変えてしまう恐れもあるが、息がないなら吸うしかない。しかし吸い方を工夫する、というか、フレーズを変えない呼吸の方法もある。まずはテンションを継続する事。気持ちを絶やさず、萎えず、言いたいことを言い終わるまで進めることができれば、自ずとよい呼吸が可能になるのだと思う。

時に、どうしてもフレーズの歌い方がわからないことがある。複雑な和声であったり、困難な跳躍や音程、音の並び方の際、または管楽器的でない様な(例えば弦楽器的、ピアノ的)場合。そんな時は、一旦フルートを置いて、ピアノで弾いてみるといいし、歌える音域、音程なら歌ってみるといい。フルートではさっぱりわからなかったフレージングが、目に見えてスッキリすることがよくある。そんな時に思うのは、フルートはやはり音楽的表現には不完全な、不十分な楽器なんだと。。歌やピアノ、ヴァイオリンと比較してしまうと、どうしても楽器の限界がある。しかしそれに失望しても仕方がないので、フルートならではの表現、音色を駆使して、人の心を動かす様なフレージングを求めていきたい。
◎表現

この項目は難しい。表現に関してこそ、言語化できないし、するものでもない。しかし自分も含めて、共演者やお弟子さん、一流の音楽家の演奏会を見聞きしする中で、例えば「それこそがモーツァルト」「それこそがドビュッシー」「それこそがゴーベール」などと膝を打つ様な演奏とは滅多に巡り会わない。不思議なことに、若い頃はもっといろんな演奏に感動していた様に思う。年をとるにしたがって、批判的な聴き方をすることも多くなり、どんな名演でも満足しない、など寂しい音楽の聴き方になっている自分に気付く。

音楽における表現とはなんだろうと思う。作曲家のメッセージがあり、演奏家の生き様があり、作曲家も演奏家も思いもしなかった魂の声、喜びや悲しみの感情の吐露を音楽から受け取ることがある。

しかし、逆に、音楽がちっとも聴こえない演奏もあって、ミスした、音色が好きではない、押し付けがましい、物足りない、そもそも技術的に未熟だ、など、批判するだけに終始し、鑑賞する気持ちになれない事さえある。偉そうに言っているが、何より、自分の演奏が一番許せない。

でもよく考えると、異なる個人の価値観や、個々の人生を持つ他人の演奏に対して、個人の限定された価値観で評価できるものだろうか。国際コンクールのファイナリストや準ファイナリストを聴いていると、みんな技術的に素晴らしいし、それぞれ魅力的な音色と表現を持っている。しかし厳然と順位が付き、その結果は多くの人にとって納得いく場合が多い。と思いきや、時に、どんな力が働いたのか不思議に思う結果の事もある。学校の試験やスポーツの様に、演奏には点数や記録が、本来はつけられないものなので、当然主観も入り込む余地は拭えない。

しかし、芸術である以上、ある一定のラインはあるわけで、技術、表現とも、それに満たないものは「鑑賞に耐えうる基準」としてはあり得ないのは確かだ。ただ困るのは、その基準が、意外と曖昧で、本当の価値を知っている人が少ないということ、であるし、今私がいみじくも言った「本当の価値」でさえ、個人差や主観が入り込んでいる場合もあることだ。

一つ、反感を買うのを承知で、わかりやすいく言うなら、メディアで商業的に扱われているアーティストは、芸術とはかけ離れていることが多い。現代では、発達したメディアの弊害として、人の価値観がそれに限定されたり操作されたりしてしまう。よく知らないことだったり、難解な芸術は、世間が認めたことに追随する傾向にあるので、本当に価値あるものは埋もれていることが事実としてある。

よく考えると、現代だから、というわけでなく、芸術はいつの時代も大衆的ではないのは明らかだ。多くの芸術家は、大衆や世間からなかなか理解を得られず苦しむことを受け入れ、その苦悩とうまく付き合っている。

芸術の中でもとりわけ耳が関心の中心となる音楽の演奏は、生で創造されるので、音楽美学の考え方では「宇宙に開かれた芸術」と解釈される。シューマンは、「本当に価値ある音楽は、耳を澄ます人にだけにしか聴こえない」という意味のことを、詩の中で言っている。

「本番は水物」とはよく言われることで、でもそれゆえに、本当に人間らしい、弱さ、強さ、何もかもが露呈され、表出されるものに、人の心を打つ、感動があるのかもしれない。

内容が演奏の具体性から離れてしまったが、言い尽くせないので、ひとことだけ。。和声を知り、フレージングを探り、作曲家の本意に忠実に、品位と良い趣味を持ち、かつ独創的な表現を模索する。表現のためにテクニックがあるが、逆にテクニックがないと表現できない。

音楽は「ないのにある。あるのにない」「色即是空」だ。
◎楽曲分析

もちろんアナリーゼの中心となるのは和声分析であり、様式や形式、モティーフの抽出だが、それ以前に作曲家の生涯を知り、作曲家の生きた時代の匂いを感じ、国の慣習に触れることが助けとなる。

つまり作曲家を取り巻く文化、世相を調べることで、作品で何を描きたかったのかに近づくことができる。

その上で楽譜を読み込み、形式やモチーフのトリミング、和声のアナライズ、リズムや旋律のキャラクターなどから、細部を知り全体の構成を理解し、演奏を生き生きと、迷いのないものにすることを目指す。
◎解釈

共演者間での解釈の相違は、テンポやヴィブラート、音色の選択をはじめ、アタックやアーティキュレーション、ディナミク、など多岐に渡る。これら全ての一致を見ることが重要。

とりわけバロックや古典の作曲家においては、特に装飾音符へのセンスとロジックのバランスが、趣味の良い、正しい価値観の演奏へ結実する。装飾音符の解釈は人それぞれ分かれることが多いので注意深く話し合う必要がある。

またロマン派の音楽には、描こうとするエピソードやストーリー、ポエムの世界観で、相違の無いようにしておかないといけない。そしてこの時代にある特有のアゴーギグが極めて重要な役割を担う。個性を大胆に活かし、なおかつ音楽そのものの持つ輝きを失わないように、自由かつ理性的な解釈を追求する。

ドビュッシー以降の近代音楽は、音色への繊細な感覚、和声のテンションから得られる独特のフレーバーを共有する。音で感じあうことが叶わないときは、ある程度の説明、打ち合わせが必要になることもあるだろう。

現代音楽についても同様であるが、バロックやクラシックの古い時代の音楽に比べると、楽譜も詳細に書かれているし、生きる時代も近いため、比較的、価値観の理解はしやすいものである。その分、作曲話法は煩雑で多様、和声は崩壊しながらも作曲家独自のアルゴリズムへの解釈が必要であり、拍節は自由そのもの、または不規則の中にある規則性を見つけないといけなかったりする。エキセントリックな技巧も多く、複雑になるので、呼吸をしっかり合わせるなどは、もしかしたら難易度が高いのかもしれない。
◎ソルフェージュ

読譜、聴音、リズム、歌の初見視唱、ピアノ初見視奏、和声法、オーケストレーションなど、すべてのスキルをあげる努力を継続的に行う。

読譜に関しては先述の通り。

聴音では楽譜の読み書きはもとより、拍節感や時間感覚、もちろん音程感を育てられるが、最も期待されるのが、和声感と、ポリフォニーの耳を育てること。これらのあらゆる感覚を研ぎ澄ませることを促進させる。

リズムの訓練として期待されるのは、声部間で複雑に入り組んだリズム打ち、拍子が変わった時のリステッソテンポへの対応力、拍の内分割が完璧であり、テンポの維持やrit.やaccell.が美しいこと。など様々だが、要は、難しいリズムが叩けることがリズム感を鍛える全てではなく、その音楽がどのような時間軸を持っているかを本質的に捉え、呼吸の中に取り入れていくか。

歌を歌うことは絶対に忘れてはならない。歌が歌えない人でフルートが吹ける人はまずいないだろう。また、ピアノの弾き歌いなどで、旋律に和声を付けられるように。フルートで音程が悪い人は、歌で音程感を磨く訓練をしていないと思う。

ピアノ初見視奏も極めて大事な訓練で、総合的な音楽基礎能力が上がる。ピアノの重要性については事項で述べる。

和声法とオーケストレーションはハードルが高いが、時間をかけて取り組んで行くと、本当に身になるし、身に付けることで本当に音楽の理解力が深まる。やってみて勉強を地道にすすめていくと、意外とできるものだ。

フルートの奏法研究や練習だけでは得られない音楽の根本的な技術や知識、感覚を、ソルフェージュから獲得し、より高く、より深いクオリティでの音楽表現に繋げることが極めて重要。極端なことを言うと、フルートを吹く時間よりこれらの勉強の時間を多くとる方が、音楽的には成長があるかもしれない。
◎ピアノ演奏の重要性

幼少時からのピアノの学習によって、➀「指の独立」を鍛えられ、➁「ポリフォニー的聴覚」を鍛えられる。音楽家として成功するためには、10代のうちに演奏に必要な身体と感覚を仕上げることが大事なので、結局のところ、この2点に運命は集約されると言っていい。そして残念ながらこの2点はフルートの練習からでは得られないことなのだ。

例えばフルートを学ぶ上でいつまでも悩み続けるのは「音色」と「高音域のクロスフィンガリング」であるが、音色は耳に、指は独立された筋肉運動と脱力の感覚に支配される。

「音色」を美しくしていく道程において、耳で、全身のあらゆる微妙なバランスや感覚をまとめてゆく中で、指の力を抜く感覚は実は占める度合いが大きい。

「高音域のクロスフィンガリング」の、左手の5や4の弱い指の露骨な問題は、幼少時のピアノの学習によって指の独立ができていれば苦労は半減するどころか、全く悩まない場合さえある。またさらに、ポリフォニー感覚が養われていると、耳の精度が明らかに高いので、速いパッセージへの認識力も高く、結果指が正確に速く動くことになる。

プロローグで書いたように、音楽表現に関しては20代以降、人間性や人生経験がモノをいう。しかし技術に関しては10代の柔軟な頭と体を持った年代に養われた能力がモノをいい、その年代はあっと言う間に過ぎ、戻りたくても二度と戻れない。ピアノが弾けなくても音楽家になれるが、ピアノが弾ければ、優れた音楽家になる近道が一つ多く与えられることは間違いない。
◎エピローグ

音楽、とりわけクラシック音楽は「時間の芸術」と言われる。音楽によって「より良い時間」を創造することができ、そのことにはアマチュアもプロも関係ない。音楽が専有する一定の時間、聴き手と共により良い時間を共有したいと思う。それは「より良く生きる」ことにほかならない。私たちがより良い演奏を目指して時間を惜しんで練習するのも「より良く生きる」ためなのかもしれない。